テキスト
変容
あなたはいつも知らず知らず自分の無意識下にしまい込んだ記憶に、無条件に反応して行動をとり続けています。
あなたは目や耳から入ってきた情報をすぐにあなたの左脳に送り込み、あなたの左脳はあなたの記憶からその情報を受け取るべきか、はじき返すかを選択します。
このためあなたはいつも自分の記憶により、限定された情報だけを受け取り、その限定された情報の中でのみ思考を繰り返しています。
あなた本来の純粋な思考をすることが出来ず、自分のことを理解できないのみならず、あなたのまわりの諸々の問題を何一つ解決することが出来ません。
常に上がったり下がったりする感情に翻弄され続けることになってしまいます。
引用元:津留晃一メッセージ集『新人類の覚醒進化プログラムー変容ー』
※全文は引用元のテキストリンク↑から移動できます。とても素晴らしい内容ですので一読をお勧めします。
テキスト音声 11:21
※非常に優れた音声テキストなので引用させていただいております。
MEMO動画 6:15
Navigator’s Comment
解放が進んでくると、”わたしがしなければ”とか、”こうあるべき”などという力みがとれてくるようです。
わたしが云う”解放”とは、本当の自分以外の観念が外れるという意味で用いています。
昭和、平成の時代は、そういう力みが面白かったのかもしれません。
”成し遂げる”とか”結果をだす”という生き方そのものに生を躍動を感じてきたといいましょうか。
”私が”というコントロールを外せば外すほど、”私であるもの”の中に宿る内なる神の働きが現れる。
肉主霊従から霊主肉従への移行です。
ときに、軸がぶれることがあっても、おきあがりこぼしのごとく、自分の中心へ還ることを可能にするのは
ただ、エゴを観察するということ。
観察者であるとき、私たちは神の視点で世界を見ています。
内なる神の視座へ意識を向ける。
神のごとく歩き、神のごとく話す。
神のようにふるまう。
わたしたちは、自ら波動を下げ、眠っていただけでした。
ですから、もう目醒めてもいいんだよと、霊なる本質へ戻ることに許可を出す頃合いなんだと思います。
こういうプログラムへ導かれたのもサインのひとつかもしれません。
子どものごときエゴを親の視座で観察する。
仏とは、解けた(ほどけた)人を指すことばのようです。
今、時代は、解けやすいほどにエネルギーが上昇してきていますので、その波に乗っかっていきたいですよね。
ではでは、ALOHA!